8月17日の日記

2005年8月17日
僕は真のエリートになりたいとは思わない。ただ真のエリートなのかどうかをとことん突き詰めたい。これは既存の社会への反逆である。もっとも「エリート」が真のエリートである必要がどこにある?今まで社会はこれで安定してきたではないか。エリートらしい人間が大きなことを処し、平民らしい人間が小さなことを処すことで社会はうまく回ってきたんじゃないのか。もしみながそれぞれの分野で「真のエリート」たろうとするならば(ここに限っては政治的な意味のみに限らない)、その職に、その人生に資質ある人間たろうとするならば、誰がスーパーのレジを打つ?誰が教習所の教官をする?目隠しをしていたからこそ崖っぷちの曲がりくねった道を何にも怖がらずに歩いてこれたのに、どうして自分だけが目隠しをとってよいのか?その正当性はどこにある?真のエリートたることか?ならば目隠しをとるものが行う政治は庶民の目隠しを外すことではなくむしろ、より頑丈な目隠しをすることなのか?

目隠しに気付いた人間が、気付いたからといって目隠しをとることは果たしてどう解釈すればいいんだろうか。優れた見識を持つ哲人は、無知なアナーキストと何一つ変わらないんじゃないだろうか。

こうして僕は豊かな社会にフリーライドし、矛盾に満ちた人生を歩んでいく。

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